神霊への願い事

 生きた神と言うべきか、この世で活動されている神の信仰と呼ばれるものは、実際に信
仰していると神が存在することが解ります。

 私事の体験で恐縮ごとですが、職場でどうしても許せない人がいました。毎日出会う人
ではないのですが、出会うと閉口していました。しまいには、あの者を殺してしまいたい。
許せないというところまで、その想いが募ったことがあります。当然に死刑をも覚悟、刑務
所に行く覚悟までしていました。
 そのことをわざわざ御神霊の元に言いに行ったことがあります。すると、私が言うことを
聞いていた女先生は、神様がこう言われていますと言い出しました。

 あのような者とて、家に帰れば妻や子もいる。その家族は嘆き悲しむ。そなたはその家
族の哀しみを考えてはおらぬ。
 よい。解った。あの者がそなたの元に近づかないようにする。二度とそなたに向かって手
出しはさせぬ。

 その後です。その人が来ると、私の顔を見るとこそこそ逃げ出すのです。私の前に出て来
ようとはしないのです。と言っても、何かの会合で出会う時があります。すると、私とは遠く
に離れた場所に座り、私の近くには来ようとはしないのです。
 以後、私が恐ろしい存在の様に逃げまくっています。

 これは別の神に仕える方のところの話ですが、相談者の息子さんが、自分の息子の職
場で毎日息子が先輩から理由もなく虐められて殴られる。何とかなりませんか。そうした相
談をされました。
 それを聞いていた教祖の霊能者は、解りましたと答えました。そこであることをしたので
す。私はその場に立ち会っていましたので、何がなされたのかは知っていますが、誰でも
出来る話ではありませんので内容は伏せます。また、お話をしたところで神や霊は無いと
言っている人には信じられないし通用しない話です。
 その翌朝、その息子さんが会社に出勤されると、それまで毎日虐めて殴っていた先輩が
恐いものを見る様に逃げて、以後、いっさいの虐めがなくなったと相談者が報告されて来
ました。そして、会社を辞めたのは先輩の方でした。

 こうした話をしますと、それならば神に頼めば虐めなどなくなる。そういう風に取られるで
しょうが、そうはならないのです。出来ないのではなく、どの御神霊も頼まれてもいないこと
はされないです。
 また、自分が神社や祠に参って願掛けをしたとしても、それで聞き届けて下さるでもない
のです。
 御神霊と呼ばれる存在は、神の代行をされるような人を欲しがられます。そうした能力を
持った人がいると、神霊の中で取り合いすら起きます。その人を通じて、神への願い事が
聞き届けられる場合が多いのです。

 どうして、街には拝み屋さんとかミニ教祖と呼ばれるような霊能者の方が多いのかと言い
ますと、御神霊の存在を知らせむ代行者を必要とする側面があるからです。
 しかし、霊能者と呼ばれる方はその実力がピンからキリまでありまして、霊能者として看
板を上げておられる方を訪ねても、失望を味わうことの方が多いということも確かです。
 それは神霊世界そのものが神と言っても、ピンキリだからでしょう。

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