息継ぎのない観音経

 私は豊岡の夏の瀧場で命を落としそうになったが、その瀧を受ける前、瀧に向かって呪
文を上げている女先生とは別に瀧場に御経が響き渡る。男の方の声である。ここにいる8
名の内、男性は私を含めて4人である。誰もが女先生が上げる呪文に従って瀧場に向か
って手を合わせているだけで御経など上げてはいない。
 ?、どこからこの御経が聞こえるのであろうか。私はその声が聞こえて来る方向を探す。
その御経は瀧の後ろにあるお堂から聞こえて来る。?。この瀧場には私達一行の8名しか
来ていない。誰かがお堂に来て、御経を上げているのだろうか?。
 その御経を聞いていると、なんとも言えないほど心地よい。一定のリズムで御経が上が
っているのだが、こんな心地のよい御経の上げ方など聞いたこともない。何教であろう
か?。私はその時、あることに気付いた。何と、この御経の上げ方には息づかい(ブレス)
がない。人が上げている御経ならば、どこかで息継ぎが入る。しかし、聞こえて来る御経に
は息継ぎがない。霊が上げている御経である。霊は私達のような呼吸をしていないことに
なる。
 私は瀧行が終わった後、女先生に聞いてみた。先程、御経が聞こえていましたが何教で
すか?。すると、女先生が云う。あの御経は観音経です。私はこの瀧場はお不動様の瀧
場と聞いていたので、観音経に疑問を持って、ここはお不動様の瀧場でないのですか?。
 すると、女先生は云う。ここはお不動様と観音様が祭ってあるのです。あのお堂には観
音様が祭ってあります。観音様が私達一行の為に観音経を聞かせてくださったのです。

 ある日、女先生から伏見山に瀧行に行くには一日仕事になる。この近辺でどこかよい瀧
場がありませんかと聞かれたので、近くのある瀧場に女先生を案内した。非常にロケーシ
ョンはよい瀧場なのだが、高さが物足りない。瀧水の筒先が短いなどの欠点がある。しか
し、その瀧場の静寂さは一品である。多くの行者が訪れているのか、脱衣用の立派な小屋
なども整備されている。
 行衣に着替えて女先生と瀧を受けようと私が瀧場に近づくと、瀧場の中から蚊が鳴くよう
な小さな音量の御経が聞こえて来る。どこから聞こえて来るのかと瀧場の中を覗くと、瀧の
後ろの岩から地底に続く霊的階段が見える。その地底から御経が聞こえて来る。?、何教
であろうかと女先生に聞こうと後ろを振り向くと、女先生が両耳を塞いで地面にひれ伏して
いる。
 女先生にどうしたのですかと聞くと、どうしたこうしたもありません。ここのお不動様が大
音声で不動経を上げられるから耳の鼓膜が破れそうになって、両耳を塞いでひれ伏してい
たのです。私には蚊が鳴く程度の声でしか聞こえなかったが、女先生に耳の鼓膜が破れ
るほどの大音声で不動経が聞こえていたことになる。

 伏見稲荷山において清明瀧の横の清明舎に宿泊していると、夜中に瀧場に落ちる水音
と共に、天津祝詞が聞こえて来たりする。真夜中に誰かが瀧の中に入っているのではな
く、行者の霊か神霊かは解らないが、そうした霊が瀧を受けている。霊か人であるかの判
別は、息づかいがあるかないかで解る。人の場合は必ず息づかいがある。

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