護摩焚き

 伏見稲荷大社講務本庁の指導者(教師)養成講座においては護摩焚きの講座が存在し
ていました。講習生の多くは霊能力者です。今もこの護摩焚き講座があるのかどうかは解
りませんが、当時はこの護摩焚きの術を使える祢宜さんがおられました。護摩焚きとは、
単に護摩を焚くのではなく、護摩の火を自在にコントロールする術が必要なのです。
 この護摩焚きの講座に入ると、伏見稲荷大社の神主さんで手空きの方達が見学に来ら
れていました。受講生の中には不動尊行者も多数いて、護摩焚きが出来ます。
 この祢宜さんが指導者となって、火を上げよ。火を下ろせと命令されます。それを護摩焚
きしている者が術を使って、火を上げたり火を下ろさせたりするのです。こうしたことは不動
尊の行者で見せられる方がありますので、見られた方もあるかと思います。
 この講座そのものが、神力パワーを見せるものです。神など無い。霊など無いと主張す
る方には解らない話ですが、神社では神は有る霊は有るが前提で、こうした秘術は神の
存在を見せるものとして、術が使えるか使えないかは別として存在するのです。
 腕に覚えがある不動尊行者でもある講習生が火を上げる印を結びます。すると、火は上
がるどころか落ちて行きます。挑戦者はそんなバカなと必死に印を結びます。逆に下ろせ
と言われて必死に印を結んでも火は上がります。
 それを見ている神官さん達がクスクス笑いをしています。見ると、指導者の祢宜さんが後
ろに手を回して印を結んでおられる。腕に覚えがある受講生がどんなに頑張っても、この
祢宜さんが見せられる術に勝てない。その様子を見たくて、手空きの神官さん達が見に来
られるわけです。私はその祢宜さんの背後に回って後ろで印を結んでおられるのを見てい
ましたが、師匠その物が印を結んで術を使われる方でしたので、さほどのお驚きはありま
せんでした。
 大社には多数の神官さんがおられても、こうしたことが出来るのはその祢宜さんだけで
あり、神官さん達も神は見られなくても、神の秘術を見ることが出来る場であったのです。
誰も印を結んだからと言って、護摩の火を上げたり下げたり出来る不思議な秘術など使え
ないからです。
 もし学者がその場に居て、どうしてと質問しても何も答えられないでしょう。科学で解明出
来ることではないからです。もう権宮司の地位を最後に伏見稲荷大社を定年退官されてい
て、お歳から推察してこの世を去っておられるかも知れません。
 
 私が女先生にその祢宜さんのことを聞くと、あの神官さんは日本でも屈指の霊能者です。
豊受様から神力を授かっておられる方ですから、腕に覚えがある不動尊行者さん程度で
は、神力勝負では勝てませんよ。皆さん、そのことをご存じないだけです。そういう答えをさ
れました。
 日本の大きな神社や寺院に行きますと、神仏に仕えてそうしたことが出来る方が若干お
られるようですが、どなたもそうしたことを表には出されないでしょう。どなたも、神仏など無
いと言いたい者には言わせておけです。
 逆にそうした術が使えるぞ自慢したがる方ほど、まだ低い段階にあると言えるのかも知
れません。

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