予知・予言

 私自身、神霊世界を見聞していまして、一番興味を持ったのはまだ起きてもいない出来
事が予知・予言されることです。
 はっきり言って、野球でどちらが勝つ、何回に誰々がホームランを打つ。相撲で誰が優勝
する。そんなことは、どうでもいいことだと思います。逆に、最初から結果を知っているほど
つまらないことはありません。知らないでひやひやしている方がいいわけです。
 しかし、地震の様な大天災が起きるのであれば、それが予知できれば早くから逃げること
が出来ます。

 明治・大正・昭和の戦前に活動された大本教の出口王仁三郎聖師はたいへんな予言者
であったことが知られています。
 大正十年に起きました関東大震災の予言。広島・長崎に新型爆弾が墜ちて、広島・長崎
は火の海になる。そうした予言がなされて、当てているわけです。
 大正10年の関東大震災の時、出口王仁三郎さんは東京に大地震が起きると側近に話
された。すると、側近がそれならば世間発表しましょうと言ったところ、それはダメだ。そん
なことを世間に言ったら、また邪教で世間を脅していると弾圧される。東京近辺の信徒だけ
に伝えなさいと言われたとあります。それで、大本教の信徒は震災の前に東京から逃げて
いたと伝えられます。

 平成7年1月17日の阪神淡路を襲った大震災を予言していたと言う人がニュースで言わ
れていましたが、私がお世話になった女先生もその3日ほど前に、神戸大阪方面に大地
震が起きると御神霊から神示を受けて、講員さんのご子息などが神戸大阪方面に若干お
られたようで、連絡をして避難させています。中には連絡がつかなかった講員さんもあった
ようですが、幸いに被害を免れた。
 だが、こうして神霊の予言が当たったとしても、事前に解っていましたと世間に言うかと言
うと、言いません。
 長崎の普賢岳が爆発した時、女先生は幹部講員さんと一緒に島原を旅行されていた。
すると、普賢岳が爆発すると御神霊が言われるので、旅行の日程を一日早く切り上げて帰
って来られた。
 爆発すると告げられた日は雲仙を離れていて、日程に問題はないが、爆発したとなれば
帰路が何かと騒動に巻き込まれてしまう。それよりも早く帰りましょうで切り上げられたと言
われます。
 普通に考えれば、それならばもっと早くから知らせろとなるかも知れませんが、確実に起
きるのが解った段階で伝えられるのかも知れません。
 また、だいぶ昔の話の様ですが、遠くに居る講員さんのご子息が結婚と言うことで、女先
生と何人かの講員さんが結婚式に招待された。結婚式を終えて飛行機で帰る予定で空港
に着いた時、女先生。あかん。この飛行機落ちるわで、一同陸路で帰られた。その飛行機
は墜ちたそうです。これは女先生や同行していた講員さんの証言もありました。
 阪神淡路の震災などは、お稲荷さんから3日前に神示が降りていますので、他の先生で
もそうした神示を受けておられた方があってもおかしくはありません。だが、それが世間一
般に公表されていません。公表して週刊誌の記者に押しかけられるのは迷惑なのです。

 これは予言と言うよりも予知なのかも知れません。私が女先生の元を訪れた時、話の中
で私が近々祖母の法事で長野に行くと言いました。
 すると女先生は、あなた。その道中に大変なことが起きる。普通のお守りでは対処出来
ないから、特製のお守りを造ってあげますから、それを身につけて行きなさい。それで、特
製のお守りをつけて長野に向かいました。
 法事の前日は、長野近くの某市の公営の温泉宿泊所に宿を予約していました。施設の
利用者は多かったのですが、泊まりは若干名です。食事を終えた頃から、部屋が大変なこ
とになりました。もう大ラップ現象です。部屋の中は大音響でドンパンドンパンです。もしお
守りをもっていなかったら、ポルタガイスト現象まで行ったかも知れません。
 私の場合はこうした霊現象は慣れっこなので、それで恐怖におののくはありません。しか
し、うるさくて寝られない。さりとて、部屋を代えて貰っても起きるだろうからと、そのまま寝
てしまいました。これなどは予言ではなくて、予知かと思います。

 予言はたいへん難しいのです。早くから予言してしまうと、それがずれたり消えたりする
場合があります。
 どんなに優れた予言者でも100発100中は難しいのです。仮に100の内99まで当てて
も、一つの予言を外すと、何を言われるか知れません。神を信じない霊の存在を信じない
と言う方達から猛攻撃を浴びてしまいます。一つでも外れたら、当たっていないではないか
と許されないわけです。
 ですから、世間は公表せず、神を信じる人達には万が一でも起きる可能性があるので、
対処してくださいと伝えるになるのでしょう。

 ただ、神や霊など無いと頑なに言う方達は、何故に未だ起きてもいない出来事が予言さ
れて、それが実際に起きた。
 それを単にまぐれ当たりだ。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、やたらに予言しておいて、
たまたま当たったのだ。そんな考え方では何時まで経っても、神や霊の世界は見えて来な
いのです。
 大本教の出口王仁三郎聖師の広島・長崎に新型爆弾が墜ちて、広島・長崎は火の海に
なるは、よく知られている予言です。
 ところが、その事実に対してされる意見は、広島・長崎に新型爆弾が墜ちて火の海にな
ると解っていたならば、どうしてそれを阻止しなかったのかと意見ばかりです。
 まだ起きてもいない出来事が、どうして予知できたのか?。その視点を持たれる方があ
まりないようです。未だこの世に起きていない出来事が、どうして事前に解るのかを突き止
めていかないと、神や霊界など解らないのです。

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