無知無学と霊媒

 街には拝み屋さんと呼ばれる方達があります。霊媒さんです。しかし、学者と呼ばれる人
達からは無知無学の婆さんじゃないか。そうした声が飛んできます。神に仕えていながら、
一段と低い者と評価されてしまうことが多いと言えます。
 そうしたことから、高学歴の方は自分が霊媒質と解った時、イヤだ!。そこらの拝み屋さ
んと一緒にされると、霊媒であることから逃げだそうとされます。霊媒とは何かが理解され
ていないことから、社会評価が低いわけです。
 古代においてはシャーマンと呼ばれ。王権の地位にあったり、権力の中枢に在ったこと
が忘れられてしまっていると言えます。古代において、天皇家の皇女と呼ばれる様な方達
が斎宮(シャーマンとして神に仕える)であられた。そうした事実すら鑑みられていないと言
えます。

 現代の学者が、神が本当に在るのならば、自分を使って見ろと言った時、神霊世界がそ
の人を霊媒として使うかと言うと、使いません。頭の賢い人と言うより博識の方は、霊媒に
は向かないのです。それは、霊媒ということに対する知識の欠如なのです。霊媒者が知識
人であると、霊媒者としての素質を失うからです。

 霊媒と呼ばれるものを大別しますと
@帰神
A神懸
B憑依
 その三つに大別されます。
 さらに、その霊媒は
                          A.完全霊媒
                          B.半霊媒
 に分けられます。

 @帰神は、自分の魂の本体にある神に帰ることです。魂の本体に在る神ですから、他の
神の懸かりを必要としません。自分が霊媒そのものである必要がないのです。自己の神
性の発揮でいいのです。
 では、それが何故に霊媒の範疇に入るのかと言いますと、肉体と魂は同一の行動をして
いるわけではありません。まして、自己の魂の中の神とは、肉体の魂が神性に目覚めて
神の世界に帰る行動状態でないと帰神とは言えないからです。
 仏教で説かれます真我とか悟りとかは、この帰神状態で得られものなのです。仏教の目
的はA神懸B憑依を目指すのではなく、@帰神にあります。しかし、この道は遥かに遠い
ところにある城を目指しているようなものです。
 仏教は哲学的であり思想であるのは、@帰神に入る為には日本神道で一霊四魂を説き
ますが、直霊と呼ばれる天の神の分魂or自己の魂の先祖神に至るには四魂の奇魂と呼
ばれる層を越えなければなりません。奇魂は知恵の働きです。無知無学のままでは、奇
魂の層を突破出来ないのです。出て来た神霊に対して、その神霊以上に賢明を持つので
す。
 ここに至った方は、大宗教を起こしたりされます。神懸かり現象なしに神を説かれて行く
のです。

 次に街の拝み屋さんとかミニ教祖と呼ばれて、何等かの神霊を祭り、その神霊の神示な
りを取次をされている状況はA神懸です。
 自己の魂の直霊とか自己の魂の先祖系譜である本守護神ではなくて、外なる神とか外
在神と呼ばれる神の寄り代となる。こちらが、一般的にA神懸と呼ばれるもので霊媒であ
ることが要求されます。
 この霊媒となる時、霊媒者に懸かった霊は霊媒となっている者の脳にある知識を利用す
ることが出来ます。霊媒者が博識ですと、その霊媒者の知恵を懸かった霊が利用すること
が出来、霊媒者に如何なる霊が懸かっているのかが解らなくなります。
 霊媒者は何も知らない。そうした人の方が純粋に懸かった霊を判別しやすいのです。為
に霊媒者はなまじ賢くない方がいいとも言われます。この賢くないとは、学問的知識は無
い方がいいの意味で、社会を生きて行く為の的確性とは違います。
 神霊がカラスの羽根は白いと言われれば、誰でも何を言っている。カラスの羽根は黒い
に決まっているではないかとなります。だが、神霊がカラスの羽根は白いと言われている
から白いのだ!。こうしたタイプが霊媒者向きなのです。

 次にB憑依です。霊に憑依されるは、実は誰でも憑依されているのです。特段に取り上
げるものではないのです。霊など無い。人は死ねば終わりだと言っている人も、霊界に渡
っても自分が死んだことが理解出来ていない霊に憑依されていることが解っていないだけ
に過ぎません。
 しかし、強度の霊媒体質者になりますと、霊に憑依されることによって、まともな社会生
活が送れないが起きます。
 人の肉体は魂の容器です。自己の魂の他に幾つもの霊が懸かって、総体的な自分を創
り上げています。精神が強いとは、自己の魂たる正神が強いのですが、精神が弱いという
ことは他の懸かった霊の思惑に肉体が踊らされることになります。あらぬ言葉を口に出す
様なことが起きます。
 また、魂が肉体を持つのは肉体には霊の浄化作用があります。強度の霊媒体質者は他
の霊の浄化に自分の肉体が利用されることが起きます。その為に疲れて寝てしまう。まと
もに社会で働けないなどが起きます。
 悪い霊能者になりますと、自分の周囲に強度の霊媒体質者を集めて、霊を取ってやるこ
とで信頼を高め、その強度霊媒体質者に他の依頼者の汚れた霊を被せて、依頼者から多
額の大金を手にするなどがあります。
 そして、その霊媒者の霊を取ることで、さらに信頼を高める。最終的にはその霊能者によ
って肉体がボロボロにされる。これは霊的世界のマッチポンプと呼ばれます。その為に、そ
うした霊媒者はそうした霊能者によって取り合いになります。
 そうした霊媒体質は体質なので、簡単に治すことは出来ません。ひどい人になると、霊を
吸い取るバキュームカーとなってしまいます。人混みの中を歩けないのです。こうした方が
神社のお札などを持ちますと、あっという間にお札が汚れてしまいます。霊を寄せ集める
体質なのです。
 かく言う私もバキュームカーではなく、歩く霊の吸い取りスポンジと呼ばれた時がありまし
た。最初の頃は意味が解りませんでした。私の場合はそうした霊に懸かられると、寝てしま
うのです。どこかしこと寝てしまう。霊能者の方から、霊を吸い取っては寝てしまうのですと
教えられました。
 それだけ霊を被る体質ならば霊媒が出来るのではないかと、ある霊能者の元で実験をし
ましたが、まったく霊媒にはなれないと解りました。外からの霊が私の肉体にある魂より格
下となる為に、意識のコントロールが出来る肉体利用は出来ないのです。

 次に、完全霊媒と半霊媒の違い。完全霊媒は霊媒者が霊に自分の肉体を貸している
間、その間の出来事を一切記憶していないことを指します。ある時、霊媒状態になった霊
媒者の方に、あなたはその間、どこに居たのですかと聞いたところ、お花畑のようなところ
でふわふわ浮いて遊んでいました。楽しかったなどと言われます。
 これに対して、半霊媒と呼ばれるのは霊に体を貸してはいるが、自分も肉体に留まって、
その間のやりとりを見聞しているのです。ですから、何が起きたかを知っています。
 霊媒者として使用する場合は完全霊媒タイプが求められます。半霊媒だと、サニワ者の
質問に入っている霊を庇って、全てを表に出さないが起きることがあります。
 一方、ミニ教祖と呼ばれる様な方は、完全霊媒だと具合が悪いことが起きます。教祖様
が貸した霊に体を乗っ取られた時、周囲にそれを対処出来るだけの者が居るかにかかっ
て来るからです。また、自分が体を貸した霊が何を言ったか知っていないと、後のことが対
処出来ないがあります。


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