神童も大人になれば

 神童も大人になればタダの人と云う言葉があります。小さい頃は、この子は神の子かと
云われた子供も、大人になれば平凡な人で終わってしまうです。
 私が修業のお世話をしていただいた女先生は、3歳の幼児の頃から、いろんなことを当
てる予知能力が備わっていて、神の童と云われていた。元々祖母さんが盲目でありながら
神のお代をした方であった。幼少の頃は白狐さんと遊んでいた。
 よく、自分には霊感があるから修業など要らないと云われる方がありますが、修業を積
んでいない霊感などは危なくて見ていられません。振り回しを知らないからです。
 一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いの霊能者が、ある段階でまったくダメになってしまうがあり
ます。何の修業も積んでおらず、目に見えたもの耳に聞こえたものを全面信頼して、修業
など要らないのだとやっていると、その足元を救われてしまうのです。そうして潰れて行く霊
能者は、以外と多いのです。

 女先生は自分の従兄弟で奥さんを亡くされた方の元に後妻に入られた。御主人とは従
兄弟関係で、その奥さんから幼い子を残して死んで行くので、どうか自分の子供の母親に
なってやって欲しいとの頼みからです。そのお子さんを育て来られた。
 そのお子さんの中で、一人の男の子は何も強制しないのに神様の前に座って拝んでい
る子であった。
 ある日、そのお子さんが女先生に言ったと云われる。お母さん。今日。ボクテストで100
点取るよ。どうしてと聞くと、神様が今日のテストで100点取らしてあげると云われた。
 学校から帰って来たその男の子が、ホラ、お母さん100点だったよ。見ると、本当に100
点満点であった。
 見ていると、神様から何か聞いているようで、この子は神様が見える。神様の声が聞こ
えるで、これならば自分の後継が出来ると考えられた。
 そこで、大きくなった頃から伏見稲荷大社講務本庁の指導者養成講座に行かせて教師
免状を取らせて、自分の教会の跡継ぎにと育成に励まれた。だが、大人になるにつれて、
神の姿は見えなくなるし、声も聞こえなくなって、タダの人となった。それで、神様はこの子
は使われないのだと解って、平凡なサラリーマンとなられた。
 その息子さんと同じぐらいの歳の男の子で、息子さんと指導者養成講座で知り合った男
の子が女先生の元に遊びに来て、女先生の弟子となられた。この男の子は、今では大き
な宗教組織の管長となっておられる。また、多くの弟子を育てて、テレビ等に出演もされて
いたし、神霊写真集の出版もある。

 よく、何かの霊験に遭遇して、これはと思って信仰の道に入ってみたが、何も起きて来な
い。自分が体験した霊験は妄想だったのかと思って、そんなものはないのだと主張されて
いる方があります。
 俗に、仏の声が聞こえた者は千人に一人でる。神の声を聞けた者は万人に一人でる。そ
うした者が修業に入っても、本物は万人に一人しか出て来ないと云われます。一時的に神
の姿が見えた声が聞こえたはあっても、それでどうなるという世界ではないのです。
 逆に、そうした霊験を体験していない人の方が、素直に神の存在を信じられるかも知れ
ません。なまじ霊験を体験して信仰に入ってみたが、何もないではないかとなった方のほう
が、せっかくの霊験の体験を妄想だで逆方向に行ってしまう可能性があります。

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