神を見せろと言う学者

 私が稲荷講でお世話になった女先生は、当時は某市の稲荷神社(藩主であった殿様が
信仰されて、お城の横に在った)で神職もされていた。
 その評判は近隣の霊能者では、あの先生ならばと一目置かれていた。この女先生が出
された著本は、伏見稲荷大社の参集殿の売店でも売られており、伏見稲荷大社がお稲荷
様の御神徳を知らせむものと認めているほどであった。

 世に、神など無い霊など無いと声高々に叫ぶ人達は多い。だが、お医者さんと呼ばれる
方達で、かなりこの女先生の元に通っていた。
 私が知るあるお医者さんは、神も霊も医学的には否定されるものですが、自分のところ
の看護婦さんからよく当たりますよと言われて、半信半疑で行ってみたが、不思議だ。どう
して解るのだろう。ずばずば指摘されることが、全て当たっていた。やはり、神様は居られ
るのだと実感出来た。それから、時々行くのですと笑っておられた。信者さんの中にはお医
者さんもかなりあった。

 この神社に、東京から一人の学者がやって来て、神が在ると言うのならば、この自分に
神を見せろと言った。
 すると、女先生は学者に向かって言った。そんなに神が見たければ、見せてやる。今、こ
の境内に貴方が入れるだけの穴を掘ってあげる。その穴の中で呼吸が出来る様に、空気
穴を通した竹筒を上げるから口にくわえなさい。その貴方の頭上から土を被せて埋めてあ
げる。竹筒で呼吸しなさい。
 何日間か経って、貴方が呼吸していたならば、掘り出してあげる。貴方が生きていたなら
ば、貴方は間違いなく神を見たはず。どうすると一喝したら、その学者さんは飛んで逃げ帰
ったそうです。
 世の中には、神が居るならば神を見せろ、神を見せろとわめき立てる人達が少なからず
あります。神に出会うのが簡単だと勘違いしておられるのでしょう。
 この女先生が言った竹筒に空気穴をつけて、口にくわえて穴の中に入る。その上から大
量の土砂を被せて埋める。この行そのものはインドのヨガ行者の中に存在します。日本で
も戦前はそれに近い行があったようですが、今は禁止されていると聞きます。それで行者
が死ねば、土を被せた者は過失致死罪に問われかねません。

 神から首に紐を掛けられている者は、どんなに自殺を図っても死ねません。死ねないと
いうことを実感します。そして、自分は神に生かされていると知るのです。どんなに辛くても
悲しくても生きなければならないことを知るのです。
 神など無い霊など無いと云う人達の中には、とんでもない受け取り間違いをされている
人達があります。神や霊で死後の世界が在ると自殺をあおっている。とんでもない勘違い
です。霊能者が自殺者は死後の世界でハッピーだと言っているでしょうか?。逆を言って
いるはずなのです。殉教で天国と煽っているのは宗教家なのです。霊能者ならば、殉教す
るよりも生きる道を選べと言うはずなのです。
 仮に私がキリスト教徒でイエスの踏み絵をしなければ殺されるのならば、私は踏みます。
神は死ぬ道を選ぶのではなく、生きる道を模索せよなのです。

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