一般的に信仰されている方は、神は情が厚く、何でも願い事を叶えてくれる存在だと思
われている節がありますが、必ずしもそうではないようです。
私が稲荷講の先生の元にお世話になった時、その女先生は60歳ぐらいでした。このお
話は、それよりも25年ぐらい昔のことで、昭和30年代の半ばの話ではないかと思います。 この女先生には7〜8人の兄弟がおられて、一番上の長女で母親に代わって兄弟達を育 てられたそうです。
その中に、妹がおられて結婚間もない新婚さんだったそうです。
ある日、御祭神が女先生に言われたそうです。台(女先生)。近く、台は親しい者と別れ
なければならない。そこで、その時に台はこの近辺にいてはいけない。どこか、連絡が難 しい様な遠くに離れた場所に行っていなさいと言われたそうです。
台と言うのは、神に仕える方に対して神霊からの呼び方です。代とも言われます。神の
お代の意味です。
そこで、女先生は親しい者が誰なのか御神霊に尋ねたが、答えられなかったそうです。
それでも神のご命令とあれば止む無しと、人里離れた旅館に閉じこもったそうです。当時 は未だ携帯電話の無い時代です。
その旅館を信者の方が探して訪ねて来て言われた内容は、先生の妹さんが交通事故で
亡くなられました。直ぐに帰って下さいです。
御神霊が親しい者との別れと言われたのは、実の妹のことだったのか。しかし、どうして
それが解っているなら、妹を助けて下さらなかったのだ。妹は、この間だ結婚したばかりの 新婚ではないか。神様はあんまりだと泣かれたそうです。
それに対して、御神霊は言われたそうです。台にそれが妹だと教えれば、台は神に必死
にすがるであろう。神が助けようとしなければ、台はこの神をも恨む。台を辞めるとさえ言う であろう。妹はこの世の寿命であり、その命を延ばすわけには行かない。よって、台の哀し みを深くせぬ為に遠くにやった。
女先生が目撃者に事故の様子を聞かれると、自動車がぶつかって来ると感じられた妹さ
んがそれを避けよう避けようと動かれる方向に自動車が突っ込んで行った。その目撃者の 話を聞いた先生は、避けようがない定めだったのかと哀しみを押さえられて、加害者の罪 が軽くなるように働かれた。
人は誰とも今の世だけを見る。自分の魂が持っているカルマに気付くことは無い。
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