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平泉寺白山神社の入り口です。少し離れたところに第一・第二駐車場がありますが案内板に不備があります。
写真左の建物はお寺のようです。平泉寺となっていますが御神霊を祭った神社です。かっては神仏混合の白山修験道になります。 |
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最初の鳥居をくぐると、参道が見えて来ます。右手は手洗い舎ですが、水が張ってありませんでした。相対的に観光化された神社とは違い、訪れる方もまばらだからでしょう。それだけに、この静寂感は何とも言えません。 |
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松尾芭蕉がこの平泉寺白山神社を訪れたことが解ります。 |
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手洗い舎の水の件は別として、参道はいいです。心が落ち着く神社の一つです。 |
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驚きました。今時、このような古い社務所を見たことがありません。まるで古代にタイムスリップした雰囲気です。 |
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平泉寺白山神社に関わる由来記を見ると、所領が九万石もあったとあります。中世ではどれほど信仰された神社であったかです。
源の義経が奥州に落ちて行く時、ここを訪れたとあります。義経に関わる奥州の平泉と同じ地名ですが、奥州の平泉寺とも縁があると言われている。
白山信仰と言えば開かれたのは泰澄大師、その大師にご託宣が出たのがこの地とあります。なお、白山山頂の奥宮社の祭祀権は江戸時代に平泉寺白山神社と定められたようです。 |
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参道の最後に出て来る鳥居です。気がつかないと見過ごします。向こうに見えるのが拝殿です。 |
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うっかり見逃してしまうのは、鳥居に屋根があることです。通りがかった地の人が、鳥居に屋根があるのはここだけだと言われていました。 |
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拝殿が見えますが、その古さがひときわ目を引きます。天正2年(西暦1574年)の兵火で焼け落ちる前の拝殿は間口が45間もあり、日本最大の拝殿であったとされます。
如何にこの地が白山信仰で栄えたかです。 |
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コケがとても美しく、樹木に囲まれたこの地はまるで心が洗われます。 |
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拝殿の後ろに行きますと御本殿が見えます。一見すると、どこにもある田舎の神社程度の感覚しか受けません。 |
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御本殿で拝しまして、私自身の個人的感想としては、白山は加賀一の宮と岐阜県の長宮が言われておりますが、どちらも未だ参拝してはいませんが、泰澄大師がこの地でご託宣を受けられて白山信仰の中心地という意味合いが何となく解るような気がしました。 |
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御本殿から三之宮と呼ばれている奥社に行く参道です。参道の雰囲気ががらりと変わります。 |
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奥社かと思っていましたら、安産の神様が祭られていました。 |
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帰る途中に越前海岸の東尋坊の名の由来となる東尋坊の跡がありました。最盛期には平泉寺白山神社は六千坊と言われていたのですから、いろんな性格のお坊さんもおられたのでしょう。 |
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