皆さん稲荷神は知っておられるでしょう
全国津々浦々にお稲荷さまの神社や祠が存在します
その総本社が伏見稲荷大社であることは知られています


だが、伏見稲荷山の全容を知る方はあまりないでしょう
皆さんが知るのは稲荷大社で管轄している部分です
一日で稲荷山の全てを見るのは不可能かもしれません
そこで、全伏見稲荷山ではありませんが
皆さんの知らない伏見稲荷山を紹介しましょう


朝の8時前、伏見稲荷山大社の正面から出発しましょう
もう駐車場も詰まってきていますが
警備員が出てきていませんので、柵が置かれています
写真は正面の大鳥居です




反対側の大鳥居です
車は一方通行の道の左側から右折で境内に入ります
左に見える歩道は警備員が出てくる頃には駐車場になります
正面コンビニの左側にJRの稲荷駅があります
伏見稲荷大社は駅から歩いてすぐ側
右側に見えている人達は伏見稲荷大社に出勤される神職や巫女さんでしょう





この大鳥居と大鳥居の中間の左側に在って、写真に写っている建物は
伏見稲荷大社で結婚式をあげる時に使われる会館です




右側にある建物は伏見稲荷大社講務本庁の参集殿です
ひらたく言えば、信徒(講員)さんの宿泊施設です
と言っても、誰でも泊まることができます

稲荷神を信仰されている方達が各地で講を作っておられ
この講を管轄するのが伏見稲荷大社講務本庁
その講員さんの総数は巨大宗教団体に匹敵します
通常の宗教団体と違うのは
講員さんの一人一人が神秘体験や霊験から
自らが神の存在を自覚されて信仰されていることです
そこに通常の宗教論理は存在しません
宗教に見られる教祖様信仰ではなく、神霊との直接信仰がなされます
講務本庁の教師(教会長)は神霊と信仰者の媒介だけをします




では、お山参拝に向かいます
まず、手洗い舎で手と口を清めます




伏見稲荷大社に行ったことがない人でもテレビ等で見る楼門です
お寺で言えば山門です




楼門前の左側の神狐像は、何故か「鍵」を銜えています
何故に「鍵」なのでしょうか?




反対側の神狐像は玉を銜えています
何の「玉」なのでしょうか?




楼門のお寺ならば仁王像の場所はこのような像です(左側)




楼門のお寺ならば仁王像の場所はこのような像です(右側)




楼門を通ると見えてくるのは拝殿です
拝殿とは、本来はここから祝詞を奏上する為のものです
伏見稲荷大社講務本庁の教師養成講座では
講習生は白装束でこの拝殿から祝詞を上げます
稲荷講は全国各地に在り、稲荷信仰者を支えています




伏見稲荷大社の不思議、伏見稲荷大社境内にある別の神社の東丸神社
他の神社に行くのに、伏見稲荷大社の敷地を通らないといけません
これは、元が伏見稲荷大社の社家であった荷田家との関係からです




先ほどの拝殿の後ろ側の階段に天保十一年とありました
時代を経ているのに、まだ輝きを失っていません




伏見稲荷大社の御本殿です
中には五座の稲荷神が祭られています
御祈祷は左側の社務所に申し込んで、中で御祈祷を受けます




神楽殿です
お神楽を頼みますと、楽士の演奏と巫女舞が行われます
また、ミタマ受けをしますと、同様にお神楽がついてきます
ミタマとは、お札のことではありません
熱心な信徒さんは、このミタマ受けをされます
伏見稲荷大社を総本社とする稲荷神社の御霊と同じものです




御本殿から社務所の横を通って、写真左側の鳥居を通ると稲荷山です




いよいよ伏見稲荷山に向かいます




階段を上がったところの左側に摂社があります




左側から山に上がって行く方向に古いお札等を納める場所があります
納札所の看板が見えます
ここから右側に行きます
奥社に寄らない場合は、納札場の前を通る道を行きます




鳥居の奥に見えている社の中には神馬像があります




奥宮と称されています
神主さんが朝の勤めをされていました




ここから大きな鳥居の連続です
こうした鳥居は一基が300万円とも500万円とも言われます
こうした高額な鳥居が寄進されるのは
実際の霊験なくしてされるものではありません




有名な千本鳥居に入ります
写真がぶれてしまいました




千本鳥居です
別カメラを使用しましたので前の写真と色合いが違います



奥社ですが、奥社を写すのを忘れてしまいました
奥社のおもかる石
持ち上げた石が軽ければ願い事が叶うの言い伝えです




奥社にある案内図です
お山のコースは約2時間と書いてありますので
多くはここから戻られて参拝を終わられるようで
稲荷山がこんな山だとは知らなかったの声も出ます

お山には、奥社から左側の参道を行きますが
今回は、ほとんどの方が知らない伏見稲荷山の紹介で
奥社の横から下の道を行きます。




奥社の横から下の小径を行きますと、こんな竹藪の中を通ります




最初に見えてくるのが大八洲の滝場です
伏見稲荷大社ではなく民有地で、管理されている方の土地です
滝を受ける時は、その管理者の家で着替えをします
丁度清掃中で、滝の写真は遠慮しました




大八洲の滝場を出ると、次に出て来るのは命婦の滝ですが
ここは呼声大神が祭られている場所としても知られています
この土地も民有地です




何故、ここが呼声大神と呼ばれている霊地なのか?
何の霊験も受けたことがない方には解らないでしようが
もし、神から霊験を受けることが出来たら「呼声」の意味が解ります
私自身、ここで得た霊験は信じられない内容でした




呼声大神の滝場を命婦の滝と言います
この命婦とは、最初の白狐のことだとされています
命婦大神の横のお塚には南無妙法蓮華経の文字と
右に妙見大菩薩、左に日蓮さんの名が刻まれています
日蓮宗信仰者向けの滝場かも知れません




命婦の滝(呼声大神)を出ますと、目の前が弘法の滝です
ここも、当然に民有地です




弘法の滝と言うだけあって、祭られているのは弘法大師さんです
この社の右側に弘法の滝があります
ここも行った時は滝場の清掃中で写真は撮りませんでした
ここの滝場は初心者向けで、昔は行を積む人で栄えていました
今はそうした行をする方を、あまり見かけなくなりました
滝行そのものを指導出来る方が減っています




先ほどの入口とは反対方向で、奥社から別の道で来ることが出来ます
また熊鷹社がある方向から山を通って来る道もあります




しばらく行きますと、青木の滝です




青木大神が祭られている滝場で、ここも民有地です




青木の神はどなたかと思っていましたら、猿田彦の神様でした




青木の滝です




しばらく行くと、七面の滝・鳴滝と出てきますが、何か寂れています




御祭神は七面大天女さんですが、一目して管理が行き届いていません
お参りの方も少ないのでしょう




七面の滝場も荒れているのが一目瞭然です




七面滝の後ろ側が鳴滝ですが
ここは完全に荒れ果てていました




鳴滝の行場ですが、使われてはいないようです




鳴滝の民有地を管理されていた方の家のようですが
もう誰も住んでおられないようです
神霊が存在し、霊験あらたかであれば参拝者は多いのですが
神霊が存在しなくなると、一気に荒れ果ててしまいます




七面の滝・鳴滝と隣接している白菊の滝です
こちらはお参りの方があり、しっかり守られています




白菊の滝行場は覗けませんでしたので、通り道からのものです




次に見えて来るのが、御劔の滝です




御劔の滝も覗けませんでしたので、山道を行くと末広の滝です
ここも民有地で滝場は囲いで見えませんでした




さらに山道を大岩神社に向かって行くと、岩滝が出て来ます




岩滝と呼ばれる行場は完全に水が無い状態で、写真の状態でした
近くには、昔は管理をされていた家らしき跡がありましたが
その付近のお塚はゴーストタウン状態でした




大岩神社と呼ばれる場所です




大岩大神と呼ばれるのは、この大岩のことでした




大岩神社からは、こんな山道を稲荷山頂上に向かって行きます




ようやく、見慣れた参道の鳥居達が見えてきました




ここからは正規の参道で、逆回りになります




伏見稲荷山一の峰・末広大神の社です
上之社とも言います




次は伏見稲荷山の二の峰・青木大神の社です
中之社と言います




二の峰・青木大神から下る参道です




二の峰から三の峰の途中に荷田社があります
伊勢大神とも言われています
荷田氏とは、伏見稲荷大社の社家であった方です




伏見稲荷山一の峰・下之社付近のお塚群が見えてきました




伏見稲荷山三の峰・下之社の白菊大神の社です




伏見稲荷山の参拝において、四つ辻までくると一安心します
その四つ辻の茶店、西村屋さんで早めの昼食にしました
西村屋さんから見る京都の町並




四つ辻から田中社(権太夫大神)への上り階段です
稲荷山における神名は稲荷名で、他での呼び方とは違います
権太夫大神がどなたかを知るとびっくりです




田中社の後ろを抜けて見る京都の眺望は伏見稲荷山随一




田中社方面に戻らずに進み、四差路を右に行くと白滝です
急坂です




白滝大神の滝場です




白滝の行場です




白滝にあるお塚群の一部です




また、先ほどの四差路に戻らないといけません
朽ちた鳥居の跡ですが、新しい鳥居の建立が見られません




御幸奉拝所です
どなたが祭られているのか知る方は少ないようです




御幸奉拝所のお塚群は、他のお塚群とは趣を異にします
それは使われているお塚石が独特のものです




その御幸奉拝所のお塚群に
天体望遠鏡で有名な「ビクセン」のお塚がありました
ビクセン・アトラスの社名が刻まれています
土田稲荷の土田は、社長さんの家筋の名前でしょうか




伏見稲荷山に上がるには、通常の車道がありません
多数の茶店の荷物や、お塚や鳥居の工事はどうするのでしょうか
大々的なものはヘリコプターが使われますが
小さな物資は許可書を持った車が通る専用道がここまで来ます
ここからは手や荷担ぎ、時にはキャタピラ車が使われるようです




御幸奉拝所から平坦路を戻りますと、元の四つ辻に戻ります




四つ辻を左に行きますと、大杉社です




さらに行きますと、眼力大神の社です
目が見えなくなった方の目が開いたの奇跡話があります




眼力社の手水は変わっています
狐像の口からです




その先に、まだ建て替わって新しい御膳谷社務所があります
戦前は民間の行者宿で、断食修行の世話をしてくれたそうです
今では、滝行や断食行を積む行者さんは珍しくなったようです
伏見稲荷山の滝場の多くは民間の管理地ですが
清滝と清明滝は伏見稲荷大社が管理しており
清明滝の申し込みは、この社務所でします
御膳谷の上がり口は、狐像でないようです




御膳谷社務所から御膳谷に上がります




この地を御膳谷と呼ぶのは、ここで神々の御膳を出しているからです
御膳谷の祈祷殿です




その御膳の説明が書かれた札です




中を覗くと、日々のお供えの様子が解ります
お供えを頼まれた方の名札が出ています
他では、民間の茶店が同様のことをされています




御膳谷祈祷殿から社務所方向を見た光景です




こちらは御膳谷あるお塚群の一部です




私が若い時代に通ったお塚がある路です




一番左のお塚は、私が信仰したお塚です
自分の身に起きた不思議の数々
後で、生まれた家の本家に稲荷の祠があったことを知りました
そのお稲荷様は、こちらの講で祭られていた稲荷様
神の縁により、引っ張られて行くものです




このお塚で、お塚の意味を説明しましょう
このお塚は豊受・豊川の2柱が祭られています
鳥居の奉納者の住所を見ると、福知山市・高槻市・加古川市が見られます
福知山市の方は、このお塚を建てた講の講員さんでしょう
だが、高槻市・加古川市の住所の方はこの講の方ではないでしょう
神霊の引っ張りと言いまして、講とは直接関係のない方が呼ばれるのです
その方法は夢とか、霊能者を通じて、このお塚だよと教えられるのです
このお塚も、時には北海道の方もあれば九州の方の参りもあります
自分の夢の中に出て来たお塚を探せば在るのです
人によっては、どこどこの何番と出て来ます
全てのお塚には番号が打つてあります


稲荷講が他の宗教と違うのは、実霊験から来る部分が多いのです
教師は、講員一人一人のお塚を探してあげたりします
世には神は無い霊は無いと主張される方達がありますが
伏見稲荷講に限っては、信仰者は実際に霊体験を積んでいます
そうした方達が何百万人と存在するのです
私もこのお塚では、数知れない霊体験をしています
今、この講は教師先生が歳をとられて休止状態です
後継の教師が出ないと、講の存続は難しくなります
それは霊験という体験を信仰者が必要とするからです
人は体験しないと、神の存在が信じられない者です




御膳谷から、伏見稲荷大社が管理する清滝に向かいます
ここには、伏見稲荷大社清滝勤番所があり
若い神主さんが一人常駐されます




清滝です
私は若い頃、この滝で不思議な霊体験をしました
それは科学の分野では、あり得ない考えられないことでした




ここで、何となく感じましたのでお灯明を差し上げましたところ
炎のが高く上がってくれました




写真の右下に見えるプレハブの屋根は伏見稲荷大社清滝勤番所
写真中央下の小さな掘っ立て小屋は行衣の着替え場所になります




伏見稲荷大社の清明舎が見えて来ました
写真に写っているのは、滝行の行衣を着替える場所です
他の場所とは違い、一段と大きな行場です
現在の着替えは清明舎の中でされているようです
洗濯機や乾燥機が奉納されているので、行衣の後始末が簡単です




伏見稲荷山で随一と言われる清明滝です
私は主にこの滝場で修行を積ませてもらいました
滝行では摩訶不思議の体験の連続でした
滝使用の申し込みは御膳谷社務所でします




滝行に関しては、いろんな意見が言われます
各々の説は一理あるかと思いますが
良き指導者につくことが大切かと思います




清明舎の入り口です
上の建物には祭壇もあります
大人数の宿泊が可能ですが食事はありません
申し込みは御膳谷の社務所です




ここは天龍社となっていますが、講社によって建てられたようです
伏見稲荷大社講務本庁が所管する講社の一つです
そうした講社は大きさにより、支部とか扱い所と呼ばれます
また、支部の中に扱い所などもあります




天龍社近くは杉の樹を御神体とする社が数々あります
伏見稲荷山では杉を御神体とするものが数々あります




こちらは一本杉です




一本杉もあれば三本杉もあります




こちらも傘杉大神となっています
お御簾の中は杉だと解ります
こちらが傘杉社と呼ばれます




傘杉社からお山一週道路に戻って上を目指すと薬力社です




こちらは薬力の滝です




その薬力の滝の横が「おせき」さんです
ゴホンゴホンと咳に悩まされる方のお参りが多く
伏見稲荷山「おせき」さんで年賀状が来るところです




おせきさんから、長者社に上がる階段です




長者社です
御祭神を御劔大神と言います
この地にある大石を御劔石と言いますが、石の神ではありません
御劔と言うように、剣を意味する大神です




御劔石の説明文ですが、石ではなく御劔大神と言う剣の大神
全国的には御劔大神を祭る神社は少ないですが
豊受神と一緒に祭る神社もあります
手洗い場を写し損ないましたが、雲に剣の絵柄で示されています
この大神のお姿を見ることが出来る者は数少ないと伝えられます




この先を行きますと、春繁社の前を通って一の峰の末広大神に行きます
さすがに疲れて急坂を登る気力もなく、戻ることにします



四つ辻から降りて来まして、三徳稲荷さん
お産の神様とも言われています




道は三つ辻で別れますが、通常ルートで戻ります
熊鷹社の横の新池です




熊鷹社です




伏見稲荷山の社で、もっとも勢いがあるのは熊鷹社です
お供えのお灯明の和蝋燭一本が1万円とか5千円
そうした高額の蝋燭が供えられているのが特徴です
現世御利益力では、最大級とも言われているようです
ここでは「南無妙法蓮華経」を上げる方が多いようです
それは、熊鷹さんがどなたかを知っておられる方達なのでしょう

現世御利益だけを求めて信仰するのか、神に感謝で信仰するのか
それは、人それぞれの信仰に対しての考え方の違いでしょう




お山参拝の時は一般的にはこのコースを採り、熊鷹社を左上に見た時
山に入ったと感じます




参道から外れたところにありますが、神田です
ここで田植え祭がとりおこなわれます
田植祭前で耕されています




お山を終えた時、丁度午後3時でした
朝の8時から午後の3時までの7時間コース
これでも、全ての伏見稲荷山を見ていません




世に神は無い霊は無いと主張される方達は
科学でその存在が証明されていないと言われます
科学が証明しなければ存在しないと言うのは危険な意見
稲荷信仰者達は、誰もが科学証明の無意味を知ります
自身の体験として実感として、神霊と触れ合うからです
逆に、神は無い霊は無いと言う人達は
神から縁遠い人としか思えないわけです

世に神は無い霊は無いと主張される方達は
本当に神が存在するならば、自分に神を見せろと言われます
古来から、多くの人達が行を積みました
それは、神に出会いたかったからでしょう
神に出う努力を何も積まず
神が存在するならば出て来て見せろ
それは、自分は神より偉い者と錯覚した奢り者でしょう

昔は、田舎には産土神氏神様が祭られて
村の鎮守様と感謝の念を受けておられました
だが、経済の発展は田舎の村々を廃墟と化させ
産土神氏神様の社も廃墟と化しました
都会の社祠も片隅に追いやられました

人が栄えて神も栄えます
しかし、人は栄えても神は廃れてしまった
それは、科学の名に信仰否定が広がったからです
神を見失った人類の先に、何があるのでしょうか?
私は恐ろしい気がします

神や霊は私達の目に見えなくても、声は聞けなくても
神や眷属達が存在することを実感出来るのが稲荷山です

ありがとうございました